十二国記の小説の感想と読む順番。楽俊と蒼猿が彩りを添える神話の世界

【注意】
十二国記についてのネタバレを含みます!

皆さんは小説はお読みにはなられますでしょうか。
私はビジネス書を良く読みますが、唯一、今回の記事の「十二国記」だけは全巻家に保管して、繰り返し読んでいます。

十二国記は小野不由美さんのシリーズモノであり、人の成長や国づくりに関する秀逸な描写が読みどころの小説です。

清く前向きな気持ちになれる読後感は、「読むセラピー」と呼ばれるだけあって、繰り返し読むことで自分磨きにも役立てることができる名作だと言えるでしょう。

十二国記がお好きな方は皆素敵な人だと思いますが、今回は私の視点で十二国記を切り口に自分語りをさせて頂ければ嬉しく思います(笑)

目次

十二国記の小説を読んだ感想と読む順番

諸説ある読む順番と私が読んだ順番

また、過去に複数の出版社から発売されている息の長いシリーズですので、読む順番には諸説あります。

私は新潮文庫の「完全版」シリーズを購入して読みましたが、刊行順に読むとすれば以下の通りとなるはずです。

  • 魔性の子
  • 月の影 影の海(上)(下)
  • 風の海 迷宮の岸
  • 東の海神 西の滄海

しかし、私は

  • 月の影 影の海(上)(下)
  • 風の海 迷宮の岸
  • 東の海神 西の滄海
  • 魔性の子

の順で読みました。

近くの書店の在庫状況により偶然この順番で読むことになったのですが、魔性の子は外伝の様な特殊な位置付けでしたので、十二国記の世界にどっぷりと浸かるという意味では「魔性の子」は後で読めて良かったと思います。

個人的には、更にシリーズを読み進めて「黄昏の岸 暁の天」の後に読めていれば、と思いました。

何はともあれ、もしも最初に魔性の子を読んでいたら、十二国記の世界観を誤解する、という勿体無い結果になっていた様に思います。

また、私のように努力・根性・友情が好きな人間にとっては、ミステリアスな描写が続く「魔性の子」よりも、人の成長物語に軸を据えた「月の影 影の海」から読むのが馴染みやすいと思います。

ちなみに私が読んだ順序で両親に薦めてみましたが、見事にハマってくれました。

十二国記小説「月の影 影の海」で私がぐっと引き込まれた理由

十二国記は独自の世界観が描かれており、一つの神話が形成されています。

その中で綴られる人生訓や人の生き様は、聖書やヴァガバットギーターといった宗教書を読んでいるような感覚さえ覚えます。

そのような魅力的な舞台の中でとりわけ魅力的なキャラクターが楽俊という存在です。
楽俊の思考法は私たちの実生活で大いに活かすことができると思います。

主人公の陽子の成長がストーリーの大きな軸であり魅力ですが、その起承転結の「転」の役割に相当するのが楽俊です。
陽子の状況を起承転結で箇条書きにすると、以下の通りになります。

【起】蓬莱(リアル日本)では他人の評価を気にするあまり八方美人であることに苦悩
【承】十二国記の世界に飛ばされ、騙され続け、人を信じられなくなる
人を信用できず、その葛藤に自身が苦しめられる
【転】楽俊と出会うが中々信用できないが、楽俊の純粋さに凍った心が少しずつ溶けて行く
【結】信じる強さを身につけ、十二国記の世界で生きていくことを決意する

楽俊を信じられるようになった後は谷から山に向けて上昇ストーリーが続くのですが、クライマックスで陽子は「進むか戻るか」の究極の二択を強いられます。

以下の陽子の台詞に迷いが凝縮されていますが、胸が締め付けられますよね。。。

ここで帰ったら、きっと後悔するとおもうけど、帰らなくてもきっと後悔すると思う。どっちにいても絶対に片方が懐かしい。どっちも取りたいけど片方しか選べない

レベルは異なりますが、私達も大きな決断(転職や進学、結婚等)をする際には同じように迷うと思います。
私は転職をする時にはいつもこのシーンを思い出して決断していました。

陽子は楽俊のシンプルかつ親身な励ましによって進むべき道を決めるのですが、何度読んでもこのシーンでの楽俊の言葉が素敵なのですよね。

あのなぁ、陽子。どっちを選んでいいか分からないときは、自分がやるべきほうを選んでおくんだ。そういうときはどっちを選んでも必ずあとで後悔する。同じ後悔をするなら、少しでも軽いほうがいいだろ

やるべきことを選んでおけば、やるべきことを放棄しなかったぶんだけ、後悔が軽くて済む

自分の中にシンプルで明確な意思決定のルールを持っていることは、揺るがない自分であることができる重要な要因であり、生きていく上で是非とも身につけておきたいものです。

少なくとも私は繰り返し十二国記(特に「月の影 影の海(下)」)を読むことで、自身の中に楽俊と同じようなシンプルで前向きな意思決定の基準を構築することができました。

自分で決めるということは自己責任の覚悟を持つことであり、その覚悟を持てた者だけがその先にある自由を実感できるのだと思います。

不思議なもので、どんな局面でもブレずに自分の考えを持って行動することができると、人生の全てが面白くなってくるものですよね。

十二国記はそれを教えてくれる素晴らしい作品だと思います。

十二国記の小説「月の影 陰の海」から学ぶこと

基本的に全巻お気に入りですが、その中でも私は「月の影 陰の海」の下巻を一番良く読んでいます。

その中から、示唆に富んでいる学びどころを挙げてみたいと思います。

蒼猿という自分のネガティブな一面も受け入れる強さと覚悟を持つこと

どの世界にもポジティブとネガティブが対をなしていますが、主人公の陽子を苦悩させ続けた存在があります。

それが、陽子の所持していた宝具から幻影として現れた蒼猿という存在です。
蒼猿は陽子の深層意識に漂う不安を次々と口にして、不安を乗り越えようとする陽子を煽り続けます。

私達の心の中にも、蒼猿と思しきもう一人の自分が住んではいないでしょうか?
前向きに進もうとしても、ネガティブな考えや疑念を投げかけてくる心の声がないでしょうか?

この手強い心の闇を打ち破る方法は、

「自分の善なる心に従うと決める」

というシンプル極まりないものですが、悩みに飲まれていると善なる心も見えず、更に迷いが深まるものです。

上記の一連の迷いから決意までの描写がこれまた秀逸であり、十二国記が読むセラピーと呼ばれるのも頷ける内容となっております。

楽俊という光の存在から学べることがたくさんある

光には陰が、陰には光があるように、蒼猿と対局を成す存在として、楽俊という救いの光とも言える存在がいます。

十二国記は魅力的なキャラクターが多く登場しますが、その中でも指折りの人気を誇る楽俊からは学べるところが数多くあります。

私は十二国記(特に月の影 陰の海)を繰り返し読むことで人生が好転した経験があります。

毎日昼休みに外に一人でランチを取りに行きつつ「月の影 陰の海」を読んでいましたが、その中でストーリーだけでなく私の人生も明るく照らしてくれた楽俊には一層の思い入れがあります。

それでは楽俊のどのような思考法が素晴らしいといえるのでしょうか?

神頼みをしない楽俊

楽俊というよりも十二国記の世界の人達に言えることなのかもしれませんが、神頼みをしないというのが特徴の一つです。
楽俊に言わせれば、

  • 作物の豊作不作も、予め不作を見込んで食料を備蓄すれば良い
  • 不作の確率を減らすために治水や灌漑の対策を練れば良い
  • 試験でいい成績をとるためには勉強したら良い

とのことです。

非常にシンプルで分かりやすい考え方です。

淡々と、すべきことに集中する、ということで、エゴや悩みを超越しており、宗教における悟りに近いものがあります。

私たちの世界では、神社やお寺にお参りする際に神様に対して願い事をすると思いますが、楽俊に言わせれば神頼みをすることはナンセンスなのかもしれません。

勿論、やれることをすべてやった上での神頼みはありだと思いますが、何もする前から神頼みをするのは順番が逆なのかもしれません。

逆に、結果が出たことに対してお礼参りをするのが楽俊の思想にマッチするようにも思えます。

上記は全て私の推測に過ぎませんが、以上の考察を踏まえて、私はお参りする際にはお願いごとをしていたのをやめ、「今○○できていることに感謝いたします」と感謝ベースのお参りをするようになりました。

自然体により「今に在る」楽俊

陽子を助けた際に、楽俊は

自分は罪人を進んで助ける程お人好しではないが、無実の罪を着せられた上に行き倒れている人を放っておこうとは思わない

旨の発言をしています。

これは他人の評価や打算や思惑に囚われない自然な振る舞いです。

打算や思惑に囚われると本来の自分とかけ離れ、煩悩に苦しめられる世界が待っていますが、楽俊の様に裏表のない思考でその時ベストだと思ったことをすれば、葛藤に悩まされることは少ないでしょう。

これぞ「今に在る」の体現だと思います。

「今に在る」とは少し分かりづらい表現ですね。

逆に、「今にない」状態を考えてみると、それは(葛藤、煩悩という形で)「目の前のリアル」とは別の物事に自分の脳力を浪費している状態と言えないでしょうか。

そういう意味では、自分の理念に則って淡々と行動している楽俊は抜群に「今に在る」を実践できているのだと思います。

神頼みを否定も肯定もせずに自然体で今を生きる楽俊は、半獣であるというハンデキャップをものともせず生きている様に見え、その姿からは多くのことを学べます。

読んで楽しんで、実生活での参考となる十二国記、繰り返し読むに足る思想書の側面も持っていると思います。
十二国記ファンの方々も共感頂けますでしょうか(笑)

十二国記の小説を読んだ感想・まとめ

生き方に関する至言が散りばめられた聖典と言える程の作品ですが、もちろん純粋な小説としても大いにおススメいたします。

聖典として読まれるならば、「月の影 影の海(下)」を何度も繰り返しお読み頂ければと思います。

月の影 影の海〈上〉―十二国記
小野不由美(著)、山田章博(イラスト)、新潮文庫
月の影 影の海〈下〉―十二国記
小野不由美(著)、山田章博(イラスト)、新潮文庫

宗教書や自己啓発書を読むのも素晴らしいことですが、私は十二国記から同様のエッセンスを学び取ることが出来たと自負しています。

流石は「読むセラピー」と言える十二国記だけのことはあります。

お互いを純粋に想う「愛」「感謝」をはじめ、「情熱」「熱意」「希望」といったポジティブな感情は引き寄せの法則においても高い位置づけとなっておりますが、十二国記は私をより高位の感情に導いてくれました。

一度読んで終わり、ではなく、何度も繰り返し読んで仙籍に入れるほどの自分磨きをしたいものですね。

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